多趣味な人がいる。
ギターを弾く、釣りをする、バイクでツーリングに出かける…
その中に自分を成長させてくれるものがたくさんあるのだと思う。そして、好奇心が旺盛であると十分に言える。好奇心の無い人は大切なものに出会ってもそれに気付かず、積極的に取り組もうとする姿勢が弱いため見過ごしてしまう。
しかし、好奇心が旺盛であるということは幅広く興味を持つということではないようだ。
興味を持とうとする気持ちが強いのだと思える。
仕事や勉強でも、遊びでも同じ。
他の人がすぐに飽きてしまうようなことに自分で工夫し興味を持とうとする。また、日々の単純作業の中にも新たな発見を見出そうと積極的に取り組む。
これが本当の旺盛な好奇心といるのではないか。
去年までギターを弾くことが趣味だったという人が、翌年、インターネットに興味を持ち、プロミュージシャンの演奏動画を検索したり、弦の張り方からギターに関する機材を調べ出したり…。去年まで3つだった趣味が今年は4つ5つに増えているという人は好奇心が旺盛である。去年までの趣味が継続されているからだ。
しかし、趣味が毎年コロコロ変わる人は好奇心が旺盛とは言えない。
自分が今まで興味を持っていたことに対し、本質を理解しようとさらに興味を持つことが本当の好奇心と言える。
対人間でも浅く広く付き合っているようではその人自身を深く理解することはできない。苦手だと思っていた人でも接する回数が多ければ、新たな一面が見えてくる。
第一印象は最悪でもいつの間にか親友になっていたということだってある。
絵を描こうとする場合、素人は美しい景色を探すことから始めるが、プロの画家は自分の部屋の窓を磨き、そこから美しい景色を探すらしい。どんな風景でも美しいものは存在するのでそれを発見できる能力がプロの画家に求められる。つまり、好奇心が必要だということ。
(趣味とは言えないが…)
塾講師になって初めて英語や国語に好奇心を寄せた。生徒に理解させるには当然本質を理解しなければならない。「現在完了」「関係代名詞」「論説文」「小説」などその単元の中身はもちろん、問題作成者の意図(何を答えさせようとしているのか、何のためにこんな問題を作ったのか)を読み取ろうとした。
毎年、同じようなことを繰り返している。教える内容自体は毎年変わらない。しかし、教える対象(生徒)は毎年違う。対象が変化すれば授業の進め方や教材も改良しなければならない。
「去年と同じ授業展開でいいや」と思えばそれまで。好奇心は続かない。
「恋人や家族に贈るプレゼントも去年と同じでいいや」と思えば対象となる人物に関しても自分自身さえも中途半端にしか理解できない。去年よりももっと喜んでもらおうと考えることに付加価値が存在する。
突き詰めれば新たな発見が見つかる。