「怒る」ことと「叱る」ことは全く別次元のものだと思っている。
「怒る」ということは感情が先行し、憤慨していること。「怒」という漢字は「奴」+「心」の組み合わせだが、「奴」は「ど」という音をしめし、むらむらとこみ上げる意味を持つそうだ。
「叱る」というのは相手に何が悪かったのかを理解させることであり、相手以上に「叱る」側が冷静でなければならない。
長年この塾講師という仕事を続けながら、幾度となく子どもたちを叱ってきた。慣れない初めのうちは叱るのではなく、感情剥き出しで怒っていた。もちろん、感情から言葉を発しているので子どもたちには何も伝わらない。伝わるはずがない。
このような怒り方をしているからだれも自分の授業にはついてきてくれない。
「怒る」→「生徒は授業を聞かなくなる」→「聞かないからまた怒る」
の悪循環。塾講師が自分には向いていないのではないかと考えたことも多々あった。
しかし、このとき「怒る」と「叱る」の違いをある先輩講師から教わった。
「怒るときには第三者の自分を作れ。そして、その第三者の自分が正しい怒り方ができているかどうかを冷静に判断しろ。」
「怒る」は感情が優先されているため第三者の自分を作ることはできない。第三者の自分を作り、自分自身を客観視することで冷静になれる。
これ以来、自分の考え方は「怒る」から「叱る」へ移行されてきたが、まだまだ難しい。しかし、「どうやって叱ればいいのか」の前に、「叱らないような授業をするにはどうすればいいか」を考えるべきだろうな。
生徒たちを惹きつける魅力ある授業をすれば、叱ることなんてない。
平凡な教師は言って聞かせる。
よい教師は説明する。
優秀な教師はやってみせる。
しかし最高の教師は子どもの心に火をつける。
(教育者・ウィリアム・ウォード)