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今、世の中にある便利なものはたいていが「面倒くさいなあ、これがあると楽なのに…。」という感情から生まれているものが多いと思う。
携帯電話だって、公衆電話を探すのが面倒くさい…。
テレビのリモコンだって、テレビ本体のスイッチを押すのが面倒くさい…。
コンビニのATMだって、銀行まで行くのが面倒くさい…。
例を挙げればきりがない。
人間はだれでも楽をしたいという感情を持っている。その「楽をしたい」や「面倒くさいを解消する」ために技術は日々進歩しているといえる。
最近では、高校生のほとんどが電子辞書を持っているという。確かに便利なものだと思う。いろんな機能を備えている電子辞書がひとつあれば楽ができ、何冊も辞書を持ち歩く面倒くさいこともない。
また、携帯電話がなかった頃、5人ほどは仲の良い友達の電話番号は暗記していたが、携帯電話があればどこでも電話ができるし、数百件の電話番号を記憶してくれる。そして、パソコンや携帯電話の普及により、思い出せない漢字は自動的に変換され、間違った言葉遣いは勝手に機械が訂正してくれる。
しかし、「技術が進歩する」ということは「人間の脳や身体は退化していく」ということになる。使えるものや使える能力を使わなくなれば退化していくのは当然。これはモノだけではなく人間も同じ。
便利なものが生まれるたびに、人間の能力は低下していく。
紙媒体の辞書だって、ページをめくっていると本来自分が探そうとしていた言葉とは全く関係のない言葉を読んでいることがある。無意識のうちに自分の目に飛び込んできた言葉だ。しかし、それが自分の語彙力や知識を増やすきっかけになる。辞書本来の使い方とは異なるが、これが紙媒体の辞書のおもしろいところだと思う。
もちろん、勉強も面倒くさい。
しかし、いくら面倒くさいといっても自分の代わりに勉強してくれる機械は今後生まれることはない。
「音読するなんて面倒くさい」、「何度も書いて覚えるなんて面倒くさい」、「やり直しをするなんて面倒くさい」
でも、この世にはやらなければならない面倒くさいことがたくさんある。
面倒くさいことをやってみることに十分な価値がある。