(今日は公立高校の合格発表です)
中3生に対する授業も3/6(月)が最終授業だった。最後の授業まで教えたいことは山ほどあり、ばたばたと「頑張れよ!」という声掛けでとても最終授業とは思えないような終わり方だった。授業を最優先とした一般入試対策。時間が無くて話せなかったことをこの場で代弁しようと思う。
学制から始まった日本の教育制度は、九年間普通教育を受けさせるということを義務付けた。
「義務」 法律や道徳のうえで、しなければならないこと。
義:人がなすべき正しい筋道。人が当然行うべき道。五常(仁・義・礼・智・信)の一つ。
務:つとめ
義務という言葉を聞くと、あまり良い印象を持たない。「義務」=「やらなくてはいけないこと」と結びついてしまう。そして、その対義語である「権利」は「してもよいし、しなくてもよいという資格」で、選挙権や所有権など、何かを主張する良いイメージがある。
しかし、普段自分の一日の生活サイクルを思い浮かべてみると、ほとんどが権利であることに気付く。朝起きることも権利であるし、顔を洗う、朝食を食べる、これも権利である。満員電車に揺られ、まだ眠っていたいのに寒い朝に会社に出勤する。これは義務ではない。自分で職場を選択し、採用面接を潜り抜けて出勤しているのだ。その職場に務めるのも、退職するのも自由なはず。明らかに権利を行使している。
義務という言葉は重く苦い言葉であるが、自分の行動を義務だと思い込むと楽になる。「会社に行っても行かなくてもどっちでもいいよ。」と言われ、行かない方を選択する勇気はない。「行かないといけないから行っている。」と自分に義務として押し付けた方が楽になるのだ。分岐点に立たされたときの権利の行使はとても難しい。
先週卒業式を迎えた卒塾生は、義務教育期間が終了した。しかし、この「義務教育」という言葉は少々勘違いされやすい。
中学生の塾生からも「オレたちは義務教育だから…」という言葉を耳にする。
義務教育だから勉強しなければならないのか?
そうではない。周りの大人や社会が子どもに教育を受けさせなければならないという義務があるだけで、学校に通う小学生や中学生にとってみれば、教育を受ける権利があるのだ。
勉強したい人だけに勉強する権利がある。
これからは自分で選んだ高校へ入学する。
進路先に悩み、初めて自分の将来を真剣に考えた。
「進学する・しない」も自分の権利だ。
「志望校を選ぶこと」も自分の権利だ。
「推薦入試・一般入試」も自分の権利だ。
そして、
「自分の目標に向かって努力するか・しないか」も「自分の選んだ高校を良い学校にする・悪い学校にする」も自分自身の権利だ。
今日は公立高校の合格発表。
今年、中3生全員が第一志望校に合格した。
この学年には多く助けられた。
楽しく授業ができた。
みんないいヤツらだった。
もう一度、このメンバーで授業がしたい。
みんな、合格おめでとう。
そして、塾に来てくれてありがとう。